「Pure Photography」と題されたこのプロモーションビデオは、Dfの発表に伴って毎週一本ずつ計6回にわたって公開されたティーザームービーです。その鮮烈さから覚えている方も多いのではないでしょうか。
毎週美しい映像とともに少しずつベールを脱いでいく新型機にドキドキワクワクさせられましたね。
ティーザー広告というのは、あえて製品の詳細を隠すことによって消費者の注目度を煽る広告手法です。ちょっとした「ジーザス・イズ・カミングスーン」です。
通常のカメラの広告であれば、AFスピードや連射性能、画素数などといった製品のスペックが強調されるところですが、このDfのティーザームービーに関してはそれらが一切ありません。
そのかわりに、「ダイヤルやシャッターの何気ない音、質感」、「撮影のシチュエーション」、「カメラへ向けられる使用者の態度」といった周辺の環境を描くことによって製品のテーマやコンセプトを表現していきます。
まあ難しい話は抜きにして、ゆっくりお茶でも飲みながらに今一度この映像を楽しんでみて下さい。
私なりに映像への説明と解釈をつけ加えてみますが、それに捕らわれずご自身の目で自由に楽しんでください。きっといろいろなものが見えてくるはずです。
Pure Photography #1
写真を撮るという行為、それがなぜ、心地良さや悦びをもたらすのか? 本当の自分を取り戻すべく、カメラだけを手に、あてのない旅に出た一人の男性を描く一連のショートムービー。インスピレーションを呼び覚ますスコットランドの印象的な風景、そして五感を研ぎ澄ます自然の音色をお楽しみください。雲に覆われた空の下で男がひとり草原に立っている。ゆっくりとしたピアノの伴奏とともに物語は始まります。
すぐに男の横顔にカットが切り変わります。顔のシワや無精ひげ、少し疲れを帯びたどこか憂鬱な表情がこの男が歩んできた人生を暗示していますね。
ニコンのCMなので男が写真を撮りに来たであろうことは想像につきますが、ぼんやりと遠くを見つめるその姿から「自分探し系」であることがわかります。
カットが変わると同時に風の音も切り替わります。ここの音の処理は少し強引かもしれません。
鳥が飛び立ち、草木が風に揺れる。(鳥はこのあと男の旅についてきます)
10秒目、男は顔を下げます。
「カチ、カチ」。ここでDfが登場します。ティーザームービーなので第一話ではカメラの本体は見えません。けれども、このカメラがしっかりとした質感のダイヤルを備えていることを音で感じさせます。
13秒目、男のジャケットのアップになります。
カメラは首から下げられているので本来は腰の位置にあったはずですが、すでに胸の位置に持ち上げられているので見えません。「カメラがそこにあった」という余韻だけを感じさせます。
そして19秒目、男は視線を風景に戻してゆっくりとカメラを構えます。ピアノの伴奏は止まり、辺りは風の音だけが流れる。(別の風音がフェードインしている?)
いよいよDfの登場かと視聴者の興奮が最高潮に達した瞬間、カットはロングショットに切り替わります。
このロングショットでコントラバスのぶ厚い音がブワーンと挿入され、シャッターが切られます。同時に画面はブラックアウトします。そして男はつぶやきます。
「この感触だ (It's in my hand again.)」。
以前にも味わったことのあるこの感触。ここで新製品が過去の記憶と結びついていることを暗示させます。期待感を煽りながらも、とても美しく印象的な演出ですね。
最後のロングショットをよく見てみると、雲に覆われていた空の左側から光が射し込んでいます。男もその方向にカメラを向けているので、実はこの男は雲の切れ目から覗く一瞬の光を待ち続けていたことがわかります。
この「光」は同時に、新製品の登場(到来)を予感させる福音のイメージにもなっています。
第二話以降でも毎回「光」が登場しますが、どれもそれぞれ重要な役割を果たすことになります。
Pure Photography #2
第二話:森の中をひたすら歩き続ける。彼は何かがこの先に待っていることを予感したのだろうか。薄暗い森の中を男が一人歩いています。このシーンは全編を通して唯一手持ちで撮影されています。
「サー」というホワイトノイズのような音が聞こえますが何なのかはわかりません。落ち葉の踏み音が森の中に響きます。(なんだか雪の上を歩いているみたいな音ですね。)
忙しく切り替わるカットのなかで、首から下げたDfがちらちらと見えます。
7秒目、男はふと歩みを止めて辺りを見渡します。いつの間にか森の中に光が射し込み、どこからともなく鳥の声が聞こえます。
ようやく男が止まってくれたので、その隙に私たちはDfに釘付けになります。ようやくカメラのお披露目ですが小さすぎて全然わかりません。
ここで、「サー」というノイズは一段と大きくなっています。
木漏れ日の中、男は何かに引き付けられながら歩き続けます。
14秒目、男は「これだったのかー」と言わんばかりの表情で立ち止まります。森を抜けて川にたどり着きました。「サー」という音はどうやら川の音だったようです。
うららかな青空で、フライフィッシングの「ヒュンヒュン」という音が心地よいですね。鳥はさえずり、ピアノも印象派チックでまるで天国です。
男は記念写真をパシャリと撮りながら、「最高の一枚 それだけでいい (one great shot rewards everything.)」とつぶやきます。
川の音や鳥の声といった「目には見えないけれど確かに存在するもの」によって男は川へと導かれました。目的地は最初から決まってはいなかったけれど、たどり着いこの風景を今回の目的地としよう、20秒目のふっと一息つくカットを見るとそんな感じに思えます。
強引に解釈すると、「見えないものに導かれる」という第二話はDfのティーザームービーを見ている私たちと構図が一緒ですね。私たちも見えない新製品に導かれてこの物語を見ているわけですからね。
第二話に関しては、Dfはちらちらと出てくるだけで全くその素性を明かしてくれません。ただし、男の台詞にある「一枚だけでいい」という言葉がデジタルカメラに対してのアンチテーゼになっていることは言うまでもありません。
Pure Photography #3
第三話:ひとり静かに夜を過ごす男。彼は孤独だろうか。もし、その手に心から信じられるものがあっても。男は湖畔でひとりキャンプをしています。夕暮れも過ぎて、焚き火の前でカメラの清掃をしています。
第二話と同じピアノのBGMに、焚き火の「パチパチ」、ブロアーの「シュッ、シュッ」の音が響きます。ここでは光源が、空、焚き火、テント、ジープのライトの4つあります。
8秒目、清掃する手もとのアップになります。カメラ本体は見えませんがレンズの一部が見えます。レンズはどうやらニコンのDシリーズみたいです。(「AiAF NIKKOR 24mm f/2.8D」か「28mm f/2.8D」かな?)
このDシリーズは現在主流のGシリーズの一世代前のレンズで、まだ絞り環が残っています。フィルム時代から続いたレンズでもありますので、第一話と同様に過去との結びつきを感じさせます。「あ、このレンズ持ってる!」と思われた方も多かったのではないでしょうか。
男は清掃に没頭しています。
14秒目、水鳥の群れが飛び立つ音でようやく男の意識は外へと向けられます。水鳥は姿を見せずに、音だけで表現されています。
18秒目、カメラにレンズを装着します。関節が外れるような「パカッ」って音が気持ちいいですね。
よく見ると、レンズはさきほど清掃していたDシリーズではありません。ちゃっかりレンズを交換しています。
レンズ中央にあるシルバーのラインや大きさから「AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G Special Edition」であることがわかります。このレンズはDfの発売に伴って従来からあった「50mm f/1.8G」を概観だけ変更し、スペシャルエディションとして一緒に発表されました。
22秒目、男はゆっくりとカメラを持ち上げます。ここで炎に照らされたDfのシルエットが一瞬お目見えします。そして炎に向けてシャッターが切られます。
「穏やかな時間 自分だけの世界 (No clutter, No distractions. This is my world.)」
レンズの先にある炎は、同時に男の情熱の炎でもあるわけですが、ここで彼は一体何をしているのか。
そう、「空打ち」をしているんですね!まさかの空打ちです。
カメラを清掃し終わったけれど、もういちどレンズを付け直してシャッターの感触を楽しんでいる。ほとんど悦に入っている状態なので、画面がブラックアウトしたあと、男はきっとニヤリとしたはずです。
「No clutter, No distractions. This is my world.」という台詞を直訳すると「煩わしさがなければ、気が散ることもない。これぞ私の世界。」となります。
カメラの清掃やレンズの交換は、人によってはめんどくさくて煩わしい作業だと感じるかもしれませんが、このシーンではカメラを扱う楽しみの一つとして描かれています。個人的にはとても好きなシーンです。
Pure Photography #4
第四話:未知なる出会いへと彼を導くものは何だろう。直感か、衝動か、探究心か。場面は古き町並みを残すヨーロッパの都市へと変わります。バクパイプの調べとともに風の音、自動車の音が聞こえます。
雲が流れ、花が揺れ、鳥が飛び立ち、人々が石畳を横切ります。時計台は7時45分を指しています。ここでは朝の街を通り抜ける複数の時間が描かれています。
17秒目、「50mm f/1.8G Special Edition」が登場し太陽が後から照らします。
男はつぶやきます。
「カメラに導かれ 新たな情景に出会う (Wherever I go, the camera leads me somewhere new.)」。
街のロングショットに変わると雲の合間から太陽が顔を出します。第一話と同様に、男は光の到来を待っていた。
21秒目、再びレンズのアップにカットが切り替わります。
風や街の音は止んで世界が静寂につつまれます。シャッターを切る寸前の一瞬の間。なんと男はここでフォーカスリングを調整しています。街のロングショット、つまりほぼ間違いなくピントは無間遠なわけですが、あえてMF操作でピントを探っている。まるでフォーカスリングのトルク感を楽しむかのごとくです。
第四話では、あきらかに「時間」がテーマになっています。過去から続く歴史の時間、街に流れる現在の時間、シャッターを切る一瞬の時間。このテーマは第五話でさらに深まります。
北ヨーロッパの伝統と哀愁を感じさせるバグパイプの音色が印象的ですね。
Pure Photography #5
第五話:忘れ去られた道の向こうで、忘れ去られた時が流れる。写真とは瞬間か。それとも永遠か。男はふらりと古い城跡を訪ねます。音楽は再び第一話のピアノ曲に戻っています。
朽ち果てた城に向けて一本の道が伸び、その側を川が流れます。まるで歴史を遡るかのようで綺麗なショットですね。
6秒目、男は城の敷地へと足を踏み入れます。と、ここで奇跡が起こります。男の頭上を鳥が横切るのですね。
毎回レギュラー出演者として常に男を影から導いてきた鳥、いわばメーテルリンクの「青い鳥」がついに男と一枚のフレームのなかに収まります。残念ながら男は気づかないけれど、この奇跡は全編を通じてこのワンカットのみです。(スタッフもさぞ興奮したことでしょう!)
10秒目、男はカメラの設定をいじっています。Dfの背面が確認できます。
その瞬間、それまで曇りがちだった空から光がカメラに射し込みます。男は顔を上げて光を確認し、ダイアルを「カチカチ」と回す。シャッタースピードも3段落としてます。撮影設定はカメラ内オートではなく、あくまで自分で決めます。
17秒目、城の窓には青空が、そして光が満ちていきます。
19秒目、男はゆっくりとカメラを持ち上げます。Dfの側面が確認できます。
風は止み、ピアノのBGMも止って、全編を通して唯一完全な静寂になります。ここでカットは男を見下ろす俯瞰に切り替わります。(おお、鳥の視点!)
コントラバスが「ブワーン」と挿入されて、男はシャッターを切ります。
これまでの物語のなかで、男は自分なりに価値観を再発見してきました。
「この感触だ」
「最高の一枚 それだけでいい」
「穏やかな時間 自分だけの世界」
「カメラに導かれ 新たな情景に出会う」
この第四話までの台詞は「カメラ」と「男」との関係性だけで成立していた言葉でした。
第五話では次のように語られます。
「時が価値あるものをつくる 待つことの意味はそこにある (Good things take time, they're worth the wait.)」
もはやカメラとの関係性の領域を超えて、男は世界へのより普遍的な価値観を手に入れています。カメラを片手に旅をしていたら世界自体が変わってしまったと。
Pure Photography #6
第六話:男はなぜ撮り続けるのか。"Pure Photography" 深く、豊かな人生の秘密。第六話はこれまでの総集編という形をとっています。
ほとんどのカットは第五話までと同じものが使われていて、新しいカットと言えば33秒目のサングラス姿の横顔と、35秒目の立ち枯れした木がある沼の風景だけです。
サングラスのカットでは、それまでミニマルに流れていたピアノに高音域の音色が登場するのでなかなか印象的です。(サングラスには映像の撮影者の姿が写り込んでいます。)
水面に映った立ち木が揺れるのと同じく、彼の心も揺れています。
男はかつて父が語った言葉を思い出します。これまで旅の中で出会った風景は、いつの間にか彼の心象風景へと変わっています。
「父が言っていた。
『時間を忘れるぐらい夢中になれることを探してごらん。
そこにおまえの情熱があるんだ。』
・・・
父の言った通りだ。」
これだけ男の過去に接近してくると、もはやカメラはいらないじゃないかとさえ思えてきますね。
残念ながら39秒目に遅ればせながらDfが登場します。この39秒目の「カチカチ」ってシャッタースピードを落とすシーンは第五話からのものですが、なぜが53秒目にも同じカットが挿入されています。
1分11秒目、旅の中で写真を撮ってきた自分の姿を思い浮かべながら男はつぶやきます。
「今 再び、一枚の写真の深さを感じる (Now, every frame is meaningful again.)」
台詞をそのまま訳すと「今は、再びすべてのフレームに意味がある」なので、男はこの一連の旅を通じて写真を撮るという行為の意味(意義)を取り戻したことになります。
第五話までは映像の一番最後、Dfの姿が少しずつ見えていくシーンで「Pure Photography」の文字が浮かび上がりますが、第六話では「Pure Passion」という言葉が付け加えられていますね。(1分22秒目)
考てみると、この一連プロモーションビデオは最初から2つの「問い」をめぐる物語でもありました。
1つは、新製品のカメラがどういったものかという問いですね。
そしてもう1つは、そもそもタイトルが示す「Pure Photography」とは何なのかという問いです。
第六話では男(=ニコン)はついにその問いに対して答えを出します。
男は旅を終えて父の「そこにお前の情熱があるんだ」という言葉を思い出しました。
そして「Pure Photography」という問いかけに対して、その言葉の前に「Pure Passion」を書き足したわけですね。
「Pure Passion. Pure Photography.」
勝手ながら翻訳してみると、「ピュアな情熱があるからこそ、ピュアな写真がある」 。(写真術と訳すべきかもしれません)
「ピュアな写真」というものが何なのかは明確には語ることはできないけれど、少なくとも「ピュアな情熱」がそこにあるんだ、という解答になっています。
この答えを聞いて、「なんだ、そんなことかよ」ってがっかりされた方もおられるかもしれません。
確かに、飲み屋さんでカメラの話で盛り上がっている最中に横にいたおっさんが「写真は情熱だ」と言い出したらかなりうざいですよね。
けれど、もともとこういった抽象的な問いに誰もが納得できる答えはありません。
BGMのピアノをもう一度聴いていただくと、この曲の大半部分がミニマルで反復するようなメロディーで進行していくのに対して、曲の最後では突然コミカルな調子に変わっています。まるでオチがついたかのようです。
このコミカルさは、いろいろ堂々めぐりをしたあげく「あー、そういやオヤジはあんなこと言ってたよなー。」っていう男の感覚と重なっているんですね。割と近くに、単純に、答えは落ちていた。
「Pure Photography」とは何か?
初めてカメラと出会ったときの感動、感触、情熱。自分の記憶の中に、その答えへの通路が開かれている。
物語はとりあえず幕を下ろします。
おまけ
製品を宣伝する際に「“物”ではなく“事”を売れ」という話を聞いたことがあります。スペックではなくて、製品を購入することによって消費者はどんな体験を得ることできるのか。一昔前に自動車のCMで流れていた「物より 思い出」というやつですね。
Dfはそのアプローチをコンセプト面から徹底した製品でもありました。
最近、英語圏のニコンの公式サイトでは製品ごとに「I AM ○○ (私は○○です)」というキャッチコピーが付けれらています。製品が自ら自己紹介してくれるわけですね。
たとえばフラグシップ機のD4sでは「I AM FULL THROTTLE (私はフルスロットルです)」と自己紹介しています。獰猛ですねー。笑

さて、Dfはどうでしょう?
答えはもちろん決まっていますね。


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